明智が妻の咄せむ
天気の良い日曜日、紅葉を見に行った。
京都などの紅葉の名所はどこも混んでいそうなので
結局、大津・坂本の日吉大社お参りしたあと
歩いて1.1kmという「西教寺」まで足を伸ばした。
息子さんが幼稚園くらいの時以来だった。
その時はそんなに感じなかったと思うが
けっこう坂がきつかった。歳をとったということか
西教寺は坂本城主・明智光秀の菩提寺で
光秀や妻・煕子の墓がある。
江戸時代の歌人、松尾芭蕉が明智光秀の妻、煕子を詠んだ句碑があった。
「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」
芭蕉には戦死した武将などへの哀惜を詠んだ句があるが
明智は「逆臣」とのみ言われていた江戸時代にあって
光秀の妻を顕彰した句を残した芭蕉を
まさに「自由人だった」みたいなことが書かれていた。
細川ガラシャの母であり、多数の逸話が残る明智が妻。
芭蕉はどこまで詳しく明智煕子のことを知っていたのか
知りたくなった。
西教寺の本堂などを見てまわっていたら、
お坊さんの説法を聴く機会があった。
少し長かったが、現代のコロナ禍のこともふまえ
心の持ち方などを話されていた。
お坊さんの入退場の時には、木魚をたたいた。
初めてのことで、とてもいい体験ができた。
帰りには、美味しい鶴城そばを食べ
ブランチ大津京にある「モンベル」などを見て帰った。
朝9時過ぎに家を出たので、わりとスムーズにいけたが
帰りは道路が混んでいた。この混雑さえなければもっと
ゆっくりとしていきたいところだった。
でも、久しぶりに お母さんとゆっくりできた秋の1日だった。
「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」
芭蕉には戦死した武将などへの哀惜を詠んだ句があるが
明智は「逆臣」とのみ言われていた江戸時代にあって
光秀の妻を顕彰した句を残した芭蕉を
まさに「自由人だった」みたいなことが書かれていた。
細川ガラシャの母であり、多数の逸話が残る明智が妻。
芭蕉はどこまで詳しく明智煕子のことを知っていたのか
知りたくなった。
西教寺の本堂などを見てまわっていたら、
お坊さんの説法を聴く機会があった。
少し長かったが、現代のコロナ禍のこともふまえ
心の持ち方などを話されていた。
お坊さんの入退場の時には、木魚をたたいた。
初めてのことで、とてもいい体験ができた。
帰りには、美味しい鶴城そばを食べ
ブランチ大津京にある「モンベル」などを見て帰った。
朝9時過ぎに家を出たので、わりとスムーズにいけたが
帰りは道路が混んでいた。この混雑さえなければもっと
ゆっくりとしていきたいところだった。
でも、久しぶりに お母さんとゆっくりできた秋の1日だった。