鳥取の旅~ゲゲゲの女房~

LakeSide

2010年12月31日 20:54

 学校が冬休みになって、鳥取旅行へ行ってきました。

 なぜ鳥取かというと、お祖父ちゃんと同居していた孫が鳥取の大学で勉強しているからです。

  (お祖父ちゃんは,私の家の近くで兄家族と暮らしています)

 孫が大学へ行くために家を出て3年になります。2年前にお祖母ちゃんがなくなり,足腰も弱ってきて家にいることが多くなったお祖父ちゃん。

 とても寂しくしていることが多いです。
 
 先月末は高校サッカーの県大会に出場している孫の応援に寒い競技場に一緒に行きました。

 その時の話はこちら

 「12月の日本海岸、鳥取は寒いかな」と思ったのですが、その2日間は晴れ間が多くまだ暖かかってよかったです。

 一日目は、滋賀から名神ー中国道ー米子道と高速で米子ICまで行き、お昼過ぎには境港の水木しげる記念館へ行きました。

 

 
 NHKの連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で話題の水木しげるさんは,鳥取の境港の出身です。

 ドラマが話題になっていることもあって,「水木しげるロード」はとても観光客でにぎわっていました。

 
 ここに「水木しげるロード」があることはずいぶん前から知っていましたが、
 ドラマのストーリーも水木さんの苦労時代の話もそんなに知りませんでした。

 いろいろ見て回って、小学生の頃テレビで見ていた「ゲゲゲの鬼太郎」の話を思い出し,楽しかったです。


 息子さんは以前に「ゲゲゲの鬼太郎」の実写版を映画で見て,一時はマイブームでした。

 その時の話はこちら


 なので息子さんは興味深く「水木しげる記念館」の展示を見学していました。

 私が小学生の頃、テレビをよく見ていた姿を覚えているくらいで,よく話も知らないお祖父ちゃんも孫に付き合って見ていました。

 
 そのあとは米子市までもどって、皆生温泉の「松月」さんに宿泊しました。

 日本海岸に面した2階の部屋で、24畳もある和室でした。
 中庭の池の鯉も見えるとてもいい部屋でゆっくり過ごしました。


 お祖父ちゃんは孫(私の息子)と一緒に三回も温泉に入ったり、部屋でおいしいものをいっぱい食べて

 「寿命が二年のびる」といって喜んでいました。




 次の日は鳥取市内の大学へ移動しました。

 お昼前に大学前の駅で待ち合わせ、大学を案内してもらいました。
 
 とても広い大学で、今度新しく大学にできた附属の動物医療センターは広い敷地の一番奥にありました。


 学生の自転車が全部倒れるほど、とても強い風が吹く中を歩いて行きました。

 白と黄色の新しい建物で、一般家庭の動物も診察してもらえる動物病院だそうです。

 この動物医療センターに2年前に亡くなったお祖母ちゃん(母)の名前が遺っているそうです。

 というのも大学附属の動物医療センターを新しく建設するにあたり、私の兄夫婦が亡くなった母の名前で寄附したからだそうです。 

 それなら「ぜひ、お祖父ちゃんに見せてあげたい」と、みんなで見に行きました。

 獣医になりたいと鳥取の大学で必死でがんばっている孫をお祖母ちゃんもこんなにそばで応援してくれているんだと思いました。

 そのあと、みんなで港近くの市場へ行って、とても新鮮でおいしい海鮮丼を食べました。

 久しぶりに大学生の孫にあったお祖父ちゃんは,とても喜んでいて楽しそうによくしゃべっていました。

 午後にはだいぶ冷え込んできて雪になるかもしれなかったので、早めに鳥取を出発しました。
 おかげで、渋滞に巻き込まれることもなく夕方にはこちらに帰ることができました。


 私が大人になってから,父と一緒に旅行するのは初めてでした。

 一緒にお風呂に入ったのも初めてでした。

 一緒に枕を並べて寝たのは、亡くなった母のお通夜の時以来でした。

 
 今回の旅行は本当は2月に行く予定でしたが、お祖父ちゃんが病気になって行けませんでした。

 「お祖父ちゃんが元気なうちに…」といって,この旅行を企画したのはお母さんでした。

 お母さんは、八十才を越えた私の父のことをいつもいろいろと気にかけてくれています。

 おかげで私も親孝行らしいことがひとつ出来ました。ありがたいことです。

 
 

 ところで今、我が家では家族みんなで「ゲゲゲの女房・総集編」を見て、はまっています。

 「いいドラマやね。」と感動して見ています。


 私も「いつもそばにいることの大切さ」を感じながら「わが家の女房」を見ています。


 息子さんは来年は中学校へ入学します。息子さんの環境が大きく変わります。

 我が家の生活もそれにあわせて変わっていくでしょう。

 我が家にはこの先どんなドラマがあるのでしょうか。


 うれしいことも楽しいことも、辛いことも苦しいことも
 
 みんなあとになれば、それが私たち家族のドラマになります。

 20年、30年たって振り返ったとき、「これまでいろんなことがあったけど、いつも一生懸命生きて来たな」と思えたらいいな…。



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