伊吹やま 神の山

LakeSide

2016年10月24日 21:27

「伊吹やま」と地元の人はいう。

湖南の琵琶湖岸の住人である我々は普通に「伊吹さん」という。

県内最高峰 1377mの山で 日本100名山らしい。

小学校の時に習った。 あと石灰岩が出て、セメント工場があって

たくさんの労働者が酷使されていた。

2度登ったことがあった。

1度は 夜間登山で ご来光を拝んだ。

まだ、結婚前で20代だった。

その頃は、立山・剣岳なども登っていたので、しんどかったという思い出はない。

2度目は、子どもが2歳くらいかな?

9合目までドライブウェイで上がり、お花畑の抱っこしながら歩いた。








そのお花畑も 鹿が荒らしていて ほとんど花がないと聞いた。


教えてくれたのは、米原市(旧伊吹町)の職員で、伊吹山文化資料館の方だ。

古い山で、もともとは海底火山? アンモナイトの化石も見つかっている。

隆起して 山になったが たくさんの種類の高山植物が見られる。

京都大学で学ぶ 西堀栄三郎や 今西錦司が登頂した時の写真も見た。




ヤマトタケルと戦って勝った 山の神がいた。

そういや マンガン日本史で読んだなぁ。

家で息子さんに話したら 「イノシシが出てきたんやろ・・」とよく覚えていた。

南極観測隊の副隊長の西堀や 文化人類学者で有名な今西錦司も登っていた

と聞いて、そんな山なんだ。京都にも近いからな・・・

古代は朝廷の権力はこの山までで、ここより先は東国とよばれたそうだ。

平安朝の鬼門にあたる位置に 比叡山延暦寺置いた桓武天皇

その延長線上に 伊吹山の神社がありこれも畿内を守る要所だったらしい。


世界最深積雪11m82㎝ 有人観測地 1927年2月14日だったらしい。

そういや 尾木ママの父は気象庁の技手(ぎて)で伊吹山の観測所にいたと

テレビのファミリーヒストリーでやっていたのを思い出した。



資料館には、いろいろな展示があったが、

写真はムシロをつくる機械だ。実演してくれた。

昭和の40年代前半は 普通に縄やむしろがあったな

わらから縄を編む 機械は我が家にも あったと記憶している。

87歳の父も これを見たら 懐かしがるだろうと

写真や動画を Zenfone3の カメラで撮った。

動画は4K とてもきれいでびっくりするくらいだった。



冬は雪深い 伊吹やま のふもとの小学校の分校が今は廃校になり

文化資料館になっていた。



長い冬に こうして ムシロや縄を編み 収入を得ていたのだろうか

同じ県内でも 特に冬は 気候が全く違う

湖北の人は まじめで勉強熱心という印象がある。

それも この風土が 生み出したものだろうか

山への信仰か 山には山の神が宿る

自然の神 自然の恵みに感謝できると 

心穏やかに 過ごせるような気がする

どうすることもできないとき 

神に祈り 時が過ぎるのを 心穏やかにやり過ごす

目まぐるしく 社会状況が変化する世の中であるが

そんな 生き方 が 求められているような気がする


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