象の背中
まずは
「映画生活」 のあらすじより
突然、末期の肺がんで余命半年を宣告された48歳の藤山幸弘は、残された時間をどう生きるか
選択を迫られる。妻と二人の子どもの事はもちろん、建設会社の部長として精魂傾けてきた
プロジェクトも気掛かりだ。
しかし、結局は延命治療を拒否し自分なりに人生を全うしようと決断する。激痛に耐えながら
心残りのないように最後の別れを告げておきたい人たちを訪ね歩く幸弘だったが、
妻の美和子には事実を言い出せずにいた。
死期を悟った象は群れから離れ、ひっそりと最期を迎える場所を探して旅立つというが、
果たして人間にそんな潔い真似ができるだろうか。
役所広司演じる主人公は苦悩の末、「死ぬまで生きる」決意をし、大切な人たちに
見守られて逝く事を選ぶ。
当然ながら死の宣告は本人だけでなく、家族をはじめ周りの人々へも重くのしかかる。
それぞれが幸弘の選択を受け入れてゆく過程は切なくも残酷だ。
それでも、尊重されるべきは死にゆく者の意志であるなら、これもまた潔い最期と言えるだろう。
秋元康の初の長編小説を映画化した本作、一人の男の死に様(=生き様)と、夫婦であり
親子である家族の一つの理想的な形が描かれている。
レンタルで見た。
余命6ヶ月。前に見た
「最高の人生の見つけ方」とは、全然違った意味でよかった。
延命治療、終末医療(ターミナルケア)をもし自分ならどうするか。
会いたい人に会いに行くのか、すぐに仕事を辞めるのか。
どんな生き方をするか。何ができるか。いろいろ考えさせられた。
映画の評判はあまりよくなくて、評価も賛否両論あります。
私も「愛人の存在」がどうしてこの映画に「必要」なのかわかりませんでした。
でもそれも現実にあるよと、教えてくれています。
でも、兄(岸辺一徳)がホスピスにやってきて兄弟で話すシーンはとても感動的でした。
「何でもかんでも、正直に話せば良いってもんじゃない」
「残されたものは、この先も生きていく…。」と兄にしかられ、
覚悟を決めているように見えた役所広司が、兄の前でついに「生きたい」とさけぶシーンです。
その「兄ちゃん」が先に逝ってしまう弟の遺言(最期のわがまま)きいてやる場面。
ガン患者である父をみんなで支える理想的な家族愛と、
その温かな家庭(妻と子どもたち)に感謝しながらも、
最期にもう一人会いたいのは愛人であり、これからの彼女のことを心配している
「やさしい」?男が描かれている。
ここがとても現実的で、藤山(役所広司)のおやじも息子(岸辺一徳)に
残していく愛人のことを頼んでいる。
人は死期を悟って群れからはなれる象のようにならなくて良いんだよ。
人はそんなに強い生き物でなくていいんだよ。 そう感じました。
でも、残された妻や子が、身勝手な父の最期のわがままを許せるのだろうか。
残されたものは、先に逝った人の生きざまを背負って生きていく。
こういうことも考えました。 だから、自分ならどうする?
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