芦浦観音寺 阿弥陀堂
天気の良かったこどもの日、
朝早めに 愛知県へ帰る息子さんを見送り
特別公開されている 芦浦観音寺へ行くことになった
昨年、阿弥陀堂の保存修理工事が完了したということで
市の文化財保護課の専門の方の話が聞けて良かった。
例年、GWの2日間くらい 特別公開されている

重要文化財の観音寺阿弥陀堂の保存修理が
昨年の5月に終わり 屋根檜皮葺がきれいになって蘇った
芦浦観音寺 表門 (現在は改修工事中)

芦浦観音寺は信長から琵琶湖の水運権をを任され
湖上管船奉行などを行い 信長の亡き後も100年余り
湖上管船奉行などを行い 信長の亡き後も100年余り
近江・琵琶湖で勢力を持っていたという。
寺の周りには 石垣や堀があり そのことを知ることができる
高校1年の地理の先生が 信長の延暦寺焼き討ちの時
延暦寺の仏像や宝物などが 山から降ろされ
船で琵琶湖を渡り この観音寺に運ばれ
信長も手出しをしなかった とか言っていた。
今日、その後の延暦寺の再建に 尽力したと
書かれていることを知ると 結構力を持っている寺だったようだ。
野点があって 抹茶をいただいたのだだが
お茶を入れていたのが 「いとこ」のAさんだったので
びっくりした ずいぶん久しぶりに話した。
お茶の関係で よく中国などに行っていると
かつて 聞いていたが お茶をいただくのは初めてだった。
ずいぶんお世話になったAさんの母(わたしの伯母)に
やはり よく似ている と思った。
そして もうすぐ Aさんの妹の子どもさんがくるというので
門の方を見ると こちらに向かって歩いていたので
手を振ってしまったが この時点でわたしは
Aさんの妹の〇〇さんと勘違いしていた。
その娘さんも やはりお母さんとよく似ていた。

次に 藤の花で有名な支那・吉田の三大神社
支那中の惣社神社、支那神社の3つを見てまわった
春のうららかな日差しの中 てくてくと歩いて回った
天気が良かったせいか 他に歩いている人も多かった
三大神社は明治初期に改名されたそうで
古くは 式内伊布伎神社といったそうだ。
平成元年頃、芦浦観音寺などと共に
ここにも来ているが あの頃は
この神社の由緒なども知る由もなく
ただ忙しく そして 若かった。
こうして 昔のことを思い出しながら
懐かしい 「いとこ」とも 出会い
ゆっくりとした時を 過ごすことができたのも
お母さんが 誘ってくれたおかげであると思う。
また、ゆっくりと 出掛けてみたいと思う。

