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ゆっくりと…

ときには日常を離れて、大自然の中でゆっくりとした時間を過ごしたい。 いつかは「夢の国」でスローライフを‥ 

「みとりびと」 父がここで生きた証

   

「みとりびと」 父がここで生きた証


父が多くの人に送られて、旅立った。

91歳と9ヶ月の生涯だった。

12年前に73歳で亡くなった母は、待ちくたびれていただろう。



4年近く、特別養護老人ホームに入っていた。

1月25日の病院の診察で、あと1月という命の期限を宣告された。

たまたま、この日同じ病院で検診を受けていて、

兄が押す車椅子に乗ってやってきた父に会うことができた。

それまで、コロナ禍で11ヶ月ほどは直接面会ができなかった。

久しぶりに出会い少し話した、その後の診察で余命宣告されたそうだ。

その後、最期の看とりについて施設側と相談して、「みとりモード」に入った。

つまり、積極的な治療はせず、食べられなくなっても痰の吸引をするくらい、らしい。



「みとりびと」 父がここで生きた証





これまで数回、別室からリモート面会するだけだった父に

「面会は意識のあるうちに、いつでもしてください。」

「家族以外にも連絡してあげてください。」という連絡があった。

それからは何度も面会に行った。

起こそうとしても、あまり目を覚まさず、

たまに、目を開けて声をかけると、少し反応があった。

孫たちを含め、大勢で面会した時、帰り際になぜか「バンザイ」といった。

お母さん(我が妻)は、これがとても印象に残っているようだ。

私は仕事を早引きし、面会にいった時のことが印象に残っている。

ベッドから出たいみたいで、何度も「起こしてくれ」と言われ

重い体を抱えて少し起こし気味にしてあげた。

何度もするけれど、ずるっと落ちてきて

また、体を起こしてやる。何度か繰り返して少し様子を見てると

何かを言った。

「えっ?」と聞き返すと、「世話をせい!」

また、やりだした・・ そして、そろそろ帰ろうとした時

「帰るのか・・?」と言った。



コロナ前は毎週のように面会して、1時間ほど過ごし帰り際には

いつも「もう帰るわ」と言うと

「ありがとう」と言った父に

そんなことを言わせてしまった後悔と

死に近き父の 苦しさ、つらい気持ちを知っても

何も出来ずに、ただその場を逃れ、看護を任せてしまっている

 自分のずるさを認めざるを得なかった。

父がこの状態の時に、何をして欲しいのか

何がしてあげられるかを日々見てくれていた施設の介護士さんや

看護師さんには、ほど遠い 自分がいた。

コロナ禍がなく、毎週面会に行って衰えていく姿を見ていたら

自分の対応も変わっていたかな。

看取り期間になる前に、もう少し話もできる時に

コロナだからと言わずに、会わせて欲しかった。




父とは、いっぱい話してきたけれど

もっと話がしたかった。


4年前、國森康弘さん講演で「みとりびと」という言葉を知った。

たしか、滋賀県の永源寺町の山奥の村の話だった。



こちらは永源寺と違って、人口の多い医療や介護施設の恵まれている地域であるけど

施設の方々は、一人の人間の人生の最期を、精一杯の看取りをして下さった。



看取りの現場で、大切にするべきことは、死に近き人のこれまでの人生に

敬意を払い、その人の命の尊厳を守りながら看取る心であると教わった気がする。



父の葬儀の朝、自宅に「悔やみ」をしに来てくれた人たちが

「○○○さん(父の名)には、世話になった、たくさんのことを教えてもらった」

と口々に言うのを聞いた。

あるお婆さんは、「もっと〇〇○さんと話がしたかった。」と涙を流していた。


葬儀の次の日、施設に 父の部屋の荷物を取りに行ったら

運びやすいようにきちんと整理して下さっていた。

そして、おもによくお世話をして下っていた方が、

「〇〇○さんには、私たちもたくさんのことを教えていただいた。」と

お礼を述べられた。

「教えていただいた」と言う言葉に、

元気でしっかりしていた時には、多くのスッタフや入居者としゃべりながら

過ごし、さまざまな自分の知識や考え方、経験などを話していたのだろう・・


師範学校を中退し、おもに農業をしていた父は、

農業関係の役員や町内会の役員、お寺の役員などを多数していた。


コミュニケーションの力があったので、

たくさんの周りの人々に、多くの影響を与え

大事なこと教え、智ていたのだろう。

学校の教師のはなれなかった父だったが、

地域の人々にとっては、立派な人生の教師だったのかな。

師として教えると言うことは、何も学校だけですることではないと

あらためて気がついた。



人の心に、記憶に残る生き方をした父に

私自身も多くのことを、教えてもらった。





















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