「ファーブルに学ぶ」&「アートはボーダレス」
5月の終わりの話です。、土曜日のお出かけは盛りだくさん。
朝から宿題などのお勉強をしていた息子さん。
お父さんは朝からバスケの県大会で1日いません。
お母さんは前から今日の予定を息子さんと決めていました。
それは、前から楽しみにしていた琵琶湖博物館の企画展「ファーブルにまなぶ」です。
とてもおもしろかったそうで、缶バッチもつけてもらい、
「わくわく探検隊」にも参加して顕微鏡でいろいろ見せても
らったそうです。
くわしくはのぶさんのブログで
http://blog.kansai.com/nobsan/2481
おもしろそうな企画なので、自分も行きたかったお父さんは
息子さんを誘ってもう一回行くつもりです。
夕食は、琵琶湖博物館の近くの道の駅のレストランでハンバーグを食べたそうです。
そして、栗東駅前の芸術文化会館「さきら」へ行きました。
第8回全国障害者芸術・文化祭滋賀大会
「アートはボーダレス」のオープニングコンサートがありました。
前日の金曜のリハーサル見せてもらって、本番も見たくなったお母さんが 「お父さんも見に行く?」
「夜、息子さんと留守番よりもいいかな」
「和太鼓とティンパニのコラボレーションか」
「和太鼓の林英哲さんはお母さんによると、とても有名な人らしいし…」
「おもしろそうだけど、和太鼓は大勢の人がやるのがいいと思うのやけど…」
「和太鼓とパーカッションのアンサンブル?」
「たたいてばっかりーかなぁ」
結局、お父さんが守山の体育館から直接「さきら」に行って何とか当日券を買いました。
席は真ん中やや後ろの中央にお母さんの一人席。右端にお父さんと息子さんの2人席がとれました。
会場は、障害のある方やその家族が大勢来ていました。それに結構若い人で、
「和太鼓やってます」という感じのグループや高校の吹奏楽部仲間のような人もいました。
お母さんも和太鼓やっています。くわしくはこちら
http://blog.kansai.com/tohmapapa/31
コンサートの初めに、嘉田由紀子滋賀県知事が原稿を読むことなく、
心のこもったあいさつをされていたのが印象的でした。
和太鼓もティンパニーなどのパーカッションの演奏も迫力がありとてもよかった
のですが、和太鼓を習っているお母さんほどの思い入れのない私たち父子は、そのうち飽きてきます。
息子さんは、お父さんの腕時計のライトをつけて、時間ばかり気にしています。
「お父さん。のど乾いた」
途中で20分もの休憩があって再開されたのですが、とうとう息子さんはあの
大音響の中で寝てしまいました。 離れた席で見ていたお母さん
「2人とも寝てるやン、これやったら一人で来たらよかった。もったいない。」
(入場料は3人で9000円)
「さきら」が初めてのお父さん、
「さきら もなかなか良い施設やな…琵琶湖ホールほどではないけど、エントランスや外の感じも良いし」
「えっ? さきらに行きたかっただけ?」と言われそうです。それもありますが
実は 「アートはボーダレス」と言うテーマにも興味があったのです。
金持ちも貧しい人も、高学歴の人も無学の人も 病気の人も健康な人も 共に生きる社会」
「ボーダレス社会」はアートの世界だけではないはず。すべての世界で違いがあって
あたりまえ、違いのある人たちがふつうにいっしょにいて生活している社会、
「ボーダレス社会」で「ノーマライゼーション」が実現し本当の「コラボレーション」
ができる時代が本当に来て欲しいものです。
延々と続いた景気が少し回復すると、「格差社会」をどう生き抜くのかにみんな
必死になっているように思います。
忙しい毎日であくせく努力して成功して、人より豊かで安心なくらしをひたすら
追い求める生き方、それが「いい人生だった」と今際の際に本当に思えるのだろうか。
人間は人といっしょだ(平等)と安心するくせに、人より優れていないと(優越感がないと)
満足できない生き物なのでしょうか。
「アートはボーダレス」http://art-borderless.com/
気になったこと
近江学園を創設した糸賀一雄さんの紹介文や司会の女性が
「障害をもつ人」と言っていたのがとても気になりました。
「障害をもっておられる人たち」なんていい方もありました。
「障害がある人は、自分の意志で障害をもっているわけではありません。
だから、障害はいらないと言って離すこともできません。」
そういう意味で「障害をもつ人」ではなく
「障害がある人」と言うようになってずいぶんたつと思うのですが、このイベントでは
その言葉があまり意識されずに、最後の方では「障害がある人」とも言っていました。