♪卒業写真の~ 30年ぶり同窓会

4月29日は結婚記念日でした。
でも今年は何も家族のイベントはありません。
お父さんが高校の同窓会に行くことになったからです。
大学を出て働きだしたころに行ったきりだから やく30年ぶりになります。
4年前にも 案内が来ていましたが その時は行きませんでした。
それが今回は、 「まだ元気なうちに行っておこうか」というのと
まだ定年退職は先ですが 仕事人生の終末期にさしかかり
少し 人生を振り返る気になったのか
4年前は 参加してなかったけど 今回は参加した人も多かったです。
108人も集まり けっこう盛大にとり行われました。
今回は 昼前から 琵琶湖汽船の客船「ミシガン」で 1時間余り南湖を周遊し、
浜大津から少し北の 旧琵琶湖ホテルまで 移動して
そこで 祝宴でした。
高校の同級生で 今も連絡を取っている人はいないので どうしよう…話す人がなかったら
大津港まで 送ってくれた お母さんに
「途中で帰りたくなったら 迎えに行って あげる」
と言わせてしまうほど 不安げなお父さんでした。
「まるで 学校を休みがちで 久しぶりに登校する不登校の子どものようやな」
と心の中で 思いながら 10分遅刻で 受付へ
クラスごとに いる幹事が すぐに気づいてくれて
もと2組が集まっている輪の中へ
特によく 話していた人も結構来ていて 和気あいあいムードに
87歳と高齢の担任の先生も 来ておられて 感激。
関東方面や 九州長崎からも参加している旧友も
特に 湖国を離れている人たちには 懐かしい琵琶湖で
懐かしい 青春時代の仲間に会いたかったから ここにいると思う。
新幹線や高速道路を使って はるばる戻ってくるには
それだけの思いがあって 高校時代の仲間の顔を見に帰ってくるのだろう。
延々8時間ほどいた 同窓会が2次会終了でいったんお開きになったとき
千葉から参加していた おとなし目の彼が
「せっかくだし、3次会も行くわ」と言ったとき
仕事の関係で故郷を離れて その後も何度も移り住んでいる人の故郷への思いを知った気がした。
みんな 自分のことを話すとき どこまで自分の近況を話すか それぞれ考えているようだった。
全体の場でのスピーチがくじで当たったひとも 仕事のことをいう人はあまりなく
自慢げな話は誰もなく しいて言えば 「子どもが4人います」といった彼女くらいだった。
テーブルは3年生のクラスごとだったけど
途中からいろんな人がやってきたりして会話が弾んだ。
しゃべりだして 声を聴くと 高校時代のクラスの雰囲気がよみがえるから不思議だ。
男同士でしゃべっていると 少し高いテンションで会話に入ってくる女性もいた
彼女は高校1年の時に同じクラスで あの時もこんな感じでしゃべっていたことを思い出した。
高校時代に野球部で 野球漬けだったけど
1年浪人して大学は法学部へすすみ 裁判官をしているという彼が
話しかけてきてくれた。
いろいろしゃべっているうちに
1年生の時、野球部の彼とも毎日のように親しくしゃべっていたことを思い出した。
あの時と同じように おたがいに丁寧にしやべっている今の2人がいて
いろんなことに悩みながら過ごした教室で たわいもない話をよくする仲だったけど
おたがいにしゃべっていて 居心地がよかったのかな
あの時の自分が 自分とかかわった人の心に こんな風に残っていることをうれしく思った。
結局、自分はバスケットを続ける根性がなく 部活もやってなかったので
部活の仲間がいなかったけど
いろいろな部活をしている人と こうして付き合っていたのだろう。
部活漬けだった 野球部の中に 裁判官になった彼だけでなく
警察官として出世している人、 50歳で司法試験に合格し弁護士になった人もいることを知った。
2年上の先輩があと一勝で夏の甲子園を逃していたので
ほんとに 野球ばかりしていたのだろう。
野球に熱中したことが その後の人生に大きなエネルギーを与えたように思った。
もと2組が集まっている輪の中へ
特によく 話していた人も結構来ていて 和気あいあいムードに
87歳と高齢の担任の先生も 来ておられて 感激。
関東方面や 九州長崎からも参加している旧友も
特に 湖国を離れている人たちには 懐かしい琵琶湖で
懐かしい 青春時代の仲間に会いたかったから ここにいると思う。
新幹線や高速道路を使って はるばる戻ってくるには
それだけの思いがあって 高校時代の仲間の顔を見に帰ってくるのだろう。
延々8時間ほどいた 同窓会が2次会終了でいったんお開きになったとき
千葉から参加していた おとなし目の彼が
「せっかくだし、3次会も行くわ」と言ったとき
仕事の関係で故郷を離れて その後も何度も移り住んでいる人の故郷への思いを知った気がした。
みんな 自分のことを話すとき どこまで自分の近況を話すか それぞれ考えているようだった。
全体の場でのスピーチがくじで当たったひとも 仕事のことをいう人はあまりなく
自慢げな話は誰もなく しいて言えば 「子どもが4人います」といった彼女くらいだった。
テーブルは3年生のクラスごとだったけど
途中からいろんな人がやってきたりして会話が弾んだ。
しゃべりだして 声を聴くと 高校時代のクラスの雰囲気がよみがえるから不思議だ。
男同士でしゃべっていると 少し高いテンションで会話に入ってくる女性もいた
彼女は高校1年の時に同じクラスで あの時もこんな感じでしゃべっていたことを思い出した。
高校時代に野球部で 野球漬けだったけど
1年浪人して大学は法学部へすすみ 裁判官をしているという彼が
話しかけてきてくれた。
いろいろしゃべっているうちに
1年生の時、野球部の彼とも毎日のように親しくしゃべっていたことを思い出した。
あの時と同じように おたがいに丁寧にしやべっている今の2人がいて
いろんなことに悩みながら過ごした教室で たわいもない話をよくする仲だったけど
おたがいにしゃべっていて 居心地がよかったのかな
あの時の自分が 自分とかかわった人の心に こんな風に残っていることをうれしく思った。
結局、自分はバスケットを続ける根性がなく 部活もやってなかったので
部活の仲間がいなかったけど
いろいろな部活をしている人と こうして付き合っていたのだろう。
部活漬けだった 野球部の中に 裁判官になった彼だけでなく
警察官として出世している人、 50歳で司法試験に合格し弁護士になった人もいることを知った。
2年上の先輩があと一勝で夏の甲子園を逃していたので
ほんとに 野球ばかりしていたのだろう。
野球に熱中したことが その後の人生に大きなエネルギーを与えたように思った。
今、高校3年生でこれまでバスケットをがんばってきた息子さんも
あと1か月余り先のインターハイ予選で高校の部活動がおわる。
そのあとは、学園祭がある。
ブロックのリーダーとして まだまだ がんばるらしい。
高校時代に熱中できることがあるというのは うらやましい。
その熱中した経験が これからの人生の選択や目標達成の場面で
そして、仲間とのつながりの中で 「自分」という人をつくっていくことに
生かされていくことを願う。
同窓会に参加するにあたり みんながするように 私も卒業アルバムを見直した。
アルバムの表紙の裏に クラスごとに名前の寄せ書きをしていた。
我が2組はみんな自分の名前だけだったが、私は自分の名前の下に「人」と書いている
このとき 自分がどんな思いで書いていたか 最初は思い出せなかったが
同窓会を終えて いま、わかった気がした。
