中江藤樹の哲学

出張で安曇川へ行った。
道の駅には、GWの時に小浜へ行った帰りに寄って
近くの養鶏場でおいしい卵も買った。
今度は、その道の駅近くにある、中江藤樹記念館と
藤樹書院に行った。研修を兼ねての出張である。
陽明学者であり、近江聖人とも呼ばれた、その道では有名な人である。
江戸時代の初めころの私塾で、藩校ではない。
そこで、熊沢蕃山などの弟子が育っているという。
儒学者(陽明学者)なので、幕末の大塩平八郎から、吉田松陰をはじめ多くの人々に影響を与えたことになる。

ただ、湖西の安曇川なので、周りには何もない。
親孝行だったから母のいる故郷に戻ったけど、
京や大阪に出て塾を開いていたら
もっと多くの弟子がいて、違ってただろう。
現在、膳所藩や彦根藩の藩校から、膳所高校や彦根東高校という進学校につながっているのだから
京に近い近江国は昔から教育県だったと言えるだろう。
高い志を胸に、中央に躍り出るには近江は地理的にいい場所かもしれない。
中江藤樹の人生を大きく変えることになったのは、孔子について研究してからである。
そういえば、家の書斎に「大学味講」(菅原兵治)という本があった。
とある人にもらってから30年も経つけど、
二十代の若い私になぜそんな本をくれたのだろうか?
読んでみたら、その答えがわかるかもしれない。
親孝行だったから母のいる故郷に戻ったけど、
京や大阪に出て塾を開いていたら
もっと多くの弟子がいて、違ってただろう。
現在、膳所藩や彦根藩の藩校から、膳所高校や彦根東高校という進学校につながっているのだから
京に近い近江国は昔から教育県だったと言えるだろう。
高い志を胸に、中央に躍り出るには近江は地理的にいい場所かもしれない。
中江藤樹の人生を大きく変えることになったのは、孔子について研究してからである。
そういえば、家の書斎に「大学味講」(菅原兵治)という本があった。
とある人にもらってから30年も経つけど、
二十代の若い私になぜそんな本をくれたのだろうか?
読んでみたら、その答えがわかるかもしれない。