浜松がんこ祭2018.3.11.

3月11日(日)浜松がんこ祭りに行ってきました。
家から20分で新名神‐東名阪‐湾岸自動車道ー東名で浜松まで
6時15分に自宅を出発、2時間半後には、浜松駅にいた。
駅前の広場で場所取り。出番までまだ1時30分。
早めについたのは良かったけど、座るところがない。
立って待つのはしんどかった。
浜松駅はとても大きく、新幹線が止まることを忘れていた。
人口80万人で政令指定都市になったらしい。びっくり。
工場も多いし、働きに来る人も多いということか。
お昼は駅に近くで「うな重」を食べることにした。
高そうだけど、せっかく浜松に来たし、
大学生の息子さんでさえ、昨日にうな重を食べたらしいので、
我慢するのもなんなので、お母さんと二人で
「うなぎの藤田」で食べた。一番安いうな重だったけど、
美味しかった。
後でわかったことだが、息子さんは同じ店の高い方の「うな重」だったらしい。
最近ダイエット中で、少食の私としては、お腹いっぱいになった。
バスで浜松城公園の会場へ移動。
メインはステージがあったけど、サブは駐車場で椅子席が少しあった。
ビデオカメラで出番を撮影。今回はよそのチームから交流で参加している人が数人いた。
たくさんの学生だけでなく、近辺の一般チームも参加していた。
天気も良く、ちょうど息子さんの出番を待っている時に
2時46分になった。祭りの主催者側からのアナウンスが流れた。
祭り会場にいる人すべてが、サイレンに合わせ黙祷した。
その前から道路わきに並んでエンジン音を響かせていた大型バイク4,5台が
誰かを待っているらしく、ずっとエンジンをふかしていた。
ヘルメットでアナウンスが聞こえてなくても、千人を超えるであろう会場の人が
直立して黙祷していたら、わかるだろう。気が付いているのかいないのか、
大きなエンジン音は、黙祷の間ずっと鳴りやむことはなかった。
空気を読んで、エンジンを切ってくれたらと期待したが、
ダメだった。
7年前か、 風化しているということか・・。
7年前、小学校卒業まじかだった息子さんは、
阪神淡路大震災22年後の神戸で大学生となり
今、浜松がんこ祭りの会場で仲間とともに
東日本大震災の被害者の霊に黙祷をし、
出番を待っている・・・・。
大学生の息子さんでさえ、昨日にうな重を食べたらしいので、
我慢するのもなんなので、お母さんと二人で
「うなぎの藤田」で食べた。一番安いうな重だったけど、
美味しかった。
後でわかったことだが、息子さんは同じ店の高い方の「うな重」だったらしい。
最近ダイエット中で、少食の私としては、お腹いっぱいになった。
バスで浜松城公園の会場へ移動。
メインはステージがあったけど、サブは駐車場で椅子席が少しあった。
ビデオカメラで出番を撮影。今回はよそのチームから交流で参加している人が数人いた。
たくさんの学生だけでなく、近辺の一般チームも参加していた。
天気も良く、ちょうど息子さんの出番を待っている時に
2時46分になった。祭りの主催者側からのアナウンスが流れた。
祭り会場にいる人すべてが、サイレンに合わせ黙祷した。
その前から道路わきに並んでエンジン音を響かせていた大型バイク4,5台が
誰かを待っているらしく、ずっとエンジンをふかしていた。
ヘルメットでアナウンスが聞こえてなくても、千人を超えるであろう会場の人が
直立して黙祷していたら、わかるだろう。気が付いているのかいないのか、
大きなエンジン音は、黙祷の間ずっと鳴りやむことはなかった。
空気を読んで、エンジンを切ってくれたらと期待したが、
ダメだった。
7年前か、 風化しているということか・・。
7年前、小学校卒業まじかだった息子さんは、
阪神淡路大震災22年後の神戸で大学生となり
今、浜松がんこ祭りの会場で仲間とともに
東日本大震災の被害者の霊に黙祷をし、
出番を待っている・・・・。