GOD FATHER Part3
私の実家の父の 米寿のお祝いをした。
ほぼ毎日デイサービスに行っていた父も
この4月から新しくできた隣町の特養老人ホームに入っている。
5月30日で 米寿を迎えていた。
父の息子三人(私は次男)の家族や1年前に結婚した孫夫婦など
12人が集まってお祝い会をした。
入院先の病院から参列した孫の結婚式の話はこちら
特養の老人ホームへバスで迎えに行って、会場の中華料理屋さんへ行った。
なんとかいつも世話になっている息子の嫁(義姉)や三男(私の弟)に介助されてバスに乗ることもできた。
本日の主役の父は、この日を待ちに待っていたと思うが、
大勢の家族(Family)に 囲まれて緊張気味であった。
部屋へ通されて、席に着いたけど、飲みのもの注文を待つ間。
まだ、それぞれが隣の人と会話していた
「今日はみなさん 忙しい中・・・ありがとう・・」
周りがペチャクチャ喋っているのに、急に父が話し出した。
「みなさん主賓のあいさつが始まってるでぇー」と
父が喋っているのに気づいた私は、少し大きな声でみなに知らせながら
ああ、挨拶をして皆にお礼の言葉を言おうとしていたんだと思った。
ほぼ毎日デイサービスに行っていた父も
この4月から新しくできた隣町の特養老人ホームに入っている。
5月30日で 米寿を迎えていた。
父の息子三人(私は次男)の家族や1年前に結婚した孫夫婦など
12人が集まってお祝い会をした。
入院先の病院から参列した孫の結婚式の話はこちら
特養の老人ホームへバスで迎えに行って、会場の中華料理屋さんへ行った。
なんとかいつも世話になっている息子の嫁(義姉)や三男(私の弟)に介助されてバスに乗ることもできた。
本日の主役の父は、この日を待ちに待っていたと思うが、
大勢の家族(Family)に 囲まれて緊張気味であった。
部屋へ通されて、席に着いたけど、飲みのもの注文を待つ間。
まだ、それぞれが隣の人と会話していた
「今日はみなさん 忙しい中・・・ありがとう・・」
周りがペチャクチャ喋っているのに、急に父が話し出した。
「みなさん主賓のあいさつが始まってるでぇー」と
父が喋っているのに気づいた私は、少し大きな声でみなに知らせながら
ああ、挨拶をして皆にお礼の言葉を言おうとしていたんだと思った。
ホームに入ってからは、ほぼ毎週一回の割りで父に会いに行っている。
いろいろなネタを持って、、、。
この頃は、息子さんの引っ越しのために買った電化製品や
ニトリでの買い物のを写真を見せながら話している。
1人で住むことになった王子公園駅近くにマンションの部屋もネットで
写真が出ているので、見せると一生懸命見ている。
一番下の孫が大学生になり、家を出て行く。
おじいちゃんなりにいろいろ心配しているようだ。
神戸の街について、知っている話をしようとするが
でも、多分神戸には、震災の3日後に親戚のおじさんの様子を見に行って以来行っていないと思う。
だからその時の話ばかりを よくする。
去年結婚した孫が鳥取の大学に6年も行っていた時は、
ずいぶん寂しがっていた。
18年間一緒に暮らしていたのだから、あたりまえか、、。
7年くらい介助していた母(妻)がなくなって、2年ほどたったころ
父を鳥取旅行に誘った。 そして孫に大学のキャンパスを案内してもらった。
皆生温泉一泊2日の旅のお話はこちら
この時もたいそう喜んでいて、やはり同居していた孫への思いは違うのかなと思った。
その孫も、最近転職して今は大阪の会社に行っているという。
その話題が気になっていた父は、食い入るように話を聞いていた。
「結婚したばっかりじゃないの」と心配していた。
就職活動をして、大阪で働くことになって。
いろいろなネタを持って、、、。
この頃は、息子さんの引っ越しのために買った電化製品や
ニトリでの買い物のを写真を見せながら話している。
1人で住むことになった王子公園駅近くにマンションの部屋もネットで
写真が出ているので、見せると一生懸命見ている。
一番下の孫が大学生になり、家を出て行く。
おじいちゃんなりにいろいろ心配しているようだ。
神戸の街について、知っている話をしようとするが
でも、多分神戸には、震災の3日後に親戚のおじさんの様子を見に行って以来行っていないと思う。
だからその時の話ばかりを よくする。
去年結婚した孫が鳥取の大学に6年も行っていた時は、
ずいぶん寂しがっていた。
18年間一緒に暮らしていたのだから、あたりまえか、、。
7年くらい介助していた母(妻)がなくなって、2年ほどたったころ
父を鳥取旅行に誘った。 そして孫に大学のキャンパスを案内してもらった。
皆生温泉一泊2日の旅のお話はこちら
この時もたいそう喜んでいて、やはり同居していた孫への思いは違うのかなと思った。
その孫も、最近転職して今は大阪の会社に行っているという。
その話題が気になっていた父は、食い入るように話を聞いていた。
「結婚したばっかりじゃないの」と心配していた。
就職活動をして、大阪で働くことになって。
今は少し遠いけど、通勤している。
研究職?のサラリーマンらしいが、どんな仕事か私が聞いてもわからなかった。
研究職?のサラリーマンらしいが、どんな仕事か私が聞いてもわからなかった。
父の米寿のお祝い会は兄夫婦が準備してくれた。
誕生から10年ごとの 「誕生日新聞」や
似顔絵、そして大きなバースデーケーキで ハッピイ・バースデーの歌もあり
父はとても喜んでいた。
ディ・サービスでしてもらう お誕生会との 違いを感じていることだろう。
とても似ているとは言えない この絵だが
父は、これは(似顔絵のもとになった写真) 〇〇の結婚式の仲人をピンチヒッターでした時だ(69歳)
と、すぐにわかったようだ。
事前に絵を見ている 私たちは似ているところを探すに苦労するくらいだったので
絵が似ているとか、そういう声はどこからもなく、スルーされた。

私も「いつもそばにいることの大切さ」を感じながらMY Family History を見ています。
うちの息子さんが生まれて、ホッとした63歳の母のアルツハイマーが始まったころから

私も「いつもそばにいることの大切さ」を感じながらMY Family History を見ています。
うちの息子さんが生まれて、ホッとした63歳の母のアルツハイマーが始まったころから
母の面倒を見ることが増え、ほっておくとどこへ行くかわからなくなるからと、
毎日、軽トラに乗せて周辺を一日ドライブしていた。
診察に行った守山の病院で、行方不明になって、警察に探してもらった。
やっと見つかって、パトカーで帰ってきた母が、父の姿を見て
パトカーの窓から手を振っていた。
この話を、思い出話として笑っている父がいた。
母がデイサービスに行き始めてすこし楽になったと思うが
行ってない日は、父に頼るしかなかった。
やがて、それも父がしんどくなって、母が入院すると
また、毎日のように 病院へ通うようになった。
若いころから、仕事が忙しくても、「ぷいっと」 どこかへいって
母を放っておいた父が、母の晩年は一番そばにいた。
一緒に仕事をがんばっていた頃は、農家の仕事を置いて出ていく父を
よく、叱っていた。
60歳をすぎて、物覚えが悪くなると、行き先を聞いているのに
父の行き先がわからず、怒っていたり
やがて ひたすら あちこちを探し回るようになった。
やがて自分がどこにいるかわからなくなって、家に帰れなくなった。
母が亡くなったときの話は、こちら
父、母の人生は、うれしいことも楽しいことも、辛いことも苦しいことも
いっぱいあったと思うけど、それを子のため と必死で働き
いっぱいあったと思うけど、それを子のため と必死で働き
乗り越えてきた。
みんな あとになれば、それが God FATHER のFamilyのドラマになっていった。
息子が結婚で独立した兄夫婦の家族では もう新しいドラマが 展開を始めている。
弟家族も、我が家もやがて子どもが独立し それぞれの家庭を持っていくだろう。
20年、30年たって振り返ったとき、
「これまでいろんなことがあったけど、
いつも一生懸命生きて来たな」 と思えたらいいな…。