命の別名

「命の別名」中島みゆき
中島みゆきのこの曲は98年ころのテレビドラマ「聖者の行進」の主題歌だった。
といっても私は このドラマをきちんと見ていたわけではなかった。
その主題歌もドラマでながれていた「糸」もそのときは知らなかった。
たまたまiPadで見ていた中島みゆきのコンサートビデオ「一会」で続けて流れてきた。
歌詞をしっかり聴きたくて、何度も見た。
何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに消えて行く
僕がいることを喜ぶ人が
どこかにいてほしい
繰り返す哀しみを照らす 灯をかざせ
君にも僕にも すべての人にも
命に付く名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも
生まれつき障がいのある人だけでなく
年をとって、自由に動けなくなって
お迎えが来るのを待っている高齢者も
いま、自分が生きている意味を知りたいと思う
ときがあるだろう。
「自分が生きていることを喜ぶ人がどこかにいてほしい」
障がいがある人も、そうでない人も
そう思える実感がないと生きていけない。
知的障がいや身体障がいのある人、
高齢者で障がいがある人は
見た目にも比較的わかりやすい人もいる。
けれど、発達障がいのうち、言葉や知的能力に遅れがないアスペルガー症候群は
そのわかりにくさから、なかなか理解がすすまない。
とくに言葉の発達に遅れがないと、とくにわかりづらい。
そのため、「空気が読めない」「パニックが起こる」など
人間関係のトラブルが多発する。
そのたびに、過ちが繰り返され、疎外され、哀しい思いをする。
「発達障がい」はここ十数年の間に理解がすすんできて
NHKをはじめ、テレビでも特集が組まれるようになったけれど、
このドラマが放送された1998年頃も、
もっと昔からいろいろな「障がいがある人がいた」、
ちょっと 変わった人。何度言ってもわかってくれない人とくくられていた。
それでも、その人(子)がどんな人か正しく理解しようとすれば、
笑顔で関係を結ぶこともできた。
とくにその子の親(家族)は、理解もあってつながり合っていたと思う。
「大人の発達障がい」を扱った本も出版されて、
この障がいを理解しようとしている人も増えているようだ。
その人のことを「愛」を持って理解しようとしないと
どうしても正しく理解できないし、よい関係を結ぶこともとてもむずかしい。
「同じ命のねうちを持って生まれてきたんだ。」と心から思えること
それがまず一番だ。
まさか自分の子はそんなことはないと思っていると
大人になっても、本人の「困り感」は理解できない。
自分とはちがう「障害者」だと、分けてしまうと
その「心」はもっと理解することはできない。
命に付く名前を心と呼ぶ
どういう意味だろう・・
人として生まれ、喜びを持って迎えられたひとが
他の人とちがうところが見つかり、
分けられていく、
分けられ、さげすまれた人もみな
同じ人としての 心をもっているのに
その心の痛みを理解できないでいる
たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みもわかるだろう
けれども人には
笑顔のままで泣いてる時もある
障がいのある人が「愛」ということばの
本当の意味を理解できるような
世の中になってほしいものだ。
「命の別名」中島みゆき
知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる
年をとって、自由に動けなくなって
お迎えが来るのを待っている高齢者も
いま、自分が生きている意味を知りたいと思う
ときがあるだろう。
「自分が生きていることを喜ぶ人がどこかにいてほしい」
障がいがある人も、そうでない人も
そう思える実感がないと生きていけない。
知的障がいや身体障がいのある人、
高齢者で障がいがある人は
見た目にも比較的わかりやすい人もいる。
けれど、発達障がいのうち、言葉や知的能力に遅れがないアスペルガー症候群は
そのわかりにくさから、なかなか理解がすすまない。
とくに言葉の発達に遅れがないと、とくにわかりづらい。
そのため、「空気が読めない」「パニックが起こる」など
人間関係のトラブルが多発する。
そのたびに、過ちが繰り返され、疎外され、哀しい思いをする。
「発達障がい」はここ十数年の間に理解がすすんできて
NHKをはじめ、テレビでも特集が組まれるようになったけれど、
このドラマが放送された1998年頃も、
もっと昔からいろいろな「障がいがある人がいた」、
ちょっと 変わった人。何度言ってもわかってくれない人とくくられていた。
それでも、その人(子)がどんな人か正しく理解しようとすれば、
笑顔で関係を結ぶこともできた。
とくにその子の親(家族)は、理解もあってつながり合っていたと思う。
「大人の発達障がい」を扱った本も出版されて、
この障がいを理解しようとしている人も増えているようだ。
その人のことを「愛」を持って理解しようとしないと
どうしても正しく理解できないし、よい関係を結ぶこともとてもむずかしい。
「同じ命のねうちを持って生まれてきたんだ。」と心から思えること
それがまず一番だ。
まさか自分の子はそんなことはないと思っていると
大人になっても、本人の「困り感」は理解できない。
自分とはちがう「障害者」だと、分けてしまうと
その「心」はもっと理解することはできない。
命に付く名前を心と呼ぶ
どういう意味だろう・・
人として生まれ、喜びを持って迎えられたひとが
他の人とちがうところが見つかり、
分けられていく、
分けられ、さげすまれた人もみな
同じ人としての 心をもっているのに
その心の痛みを理解できないでいる
たやすく涙を流せるならば
たやすく痛みもわかるだろう
けれども人には
笑顔のままで泣いてる時もある
障がいのある人が「愛」ということばの
本当の意味を理解できるような
世の中になってほしいものだ。
「命の別名」中島みゆき
知らない言葉を覚えるたびに
僕らは大人に近くなる