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ゆっくりと…

ときには日常を離れて、大自然の中でゆっくりとした時間を過ごしたい。 いつかは「夢の国」でスローライフを‥ 

「古き」は駆逐され、生まれ変わる。

   

築50年余りだった。

亡くなった父母が、親戚からお金を工面して思い切って建てた家だと聞いている。

小学生3年生だったかな。その頃のことは少しおぼえている。

親戚がいっぱいきて、盛大に棟上げをしていた。

何日もかけてしていたし、大工の棟梁は父の友人だった。

小学生の私は、数人の大工さんの仕事ぶりや左官屋さん

瓦屋の仕事ぶりも興味津々で見ていた。



昭和43年、44年というと万博前で、農家の景気も上向いていた頃だった。

出来上がった家の2階に住むようになった時は、まだ部屋もできておらず、

5年くらいして中学2年になった頃やっと、内装ができて、

自分の部屋に友だちを連れてきたことを覚えている。

「古き」は駆逐され、生まれ変わる。



自分の部屋があることがとても嬉しく

4畳半の狭い部屋だったが、南向きで陽あたりがよくて

いい部屋だった。

そこで高校・大学受験とそして就職試験の勉強もした。

28歳で自分の家が立つまで、この家の2階で寝ていた。

その後、兄の息子が中学・高校と過ごし、大学入学で鳥取に行くまで

その部屋を使っていた。


一階の居間にはテレビがあり、私は「テレビの(子)守りをしているのか」

と言われながらも、よくテレビを見ていた。

夕食をの後片付けを済ませた母と

お気に入りのドラマを一緒に見ていた。



母は、兄が結婚をして孫ができると 疲れたその身体で孫の面倒をよく見ていた。

その頃の私は25歳くらいで、同居していたが、その母の様子を見て

自分が小さい時も こうしてかまってくれていたのだろうか?

自分はほったらかしにされていて、可愛がられて育った記憶がなかったけれど

親が我が子に愛情がないわけはない。と実感し、親に感謝をしたものだった。

実家の近くに家を建ててもらい、結婚を控えた頃だったと思う。



色々な歴史を刻んできた実家が、数日で重機に壊されるのを見ている。

土曜の朝、玄関がなくなっただけだったのに、夕方には4分3がなくなっていた。

日曜には、全部なくなるという。

50年前の田舎の和風建築で、とても段差が多かった。

父の死期が迫った時、「看取り」として施設から車椅子ベットに乗った父は

縁側にスロープをつけて家に運ばれ、仏間の仏壇の前に戻ってきた。

玄関は段差があったが、介助すれば自分で上がれた2年前は

家に入ることができた。



兄夫婦は、そこに小さめの新しい家を建てる。

老後を2人でここで過ごすための、暖かくて段差の少ない

そして車の出入りがしやすい家になるという。

兄の息子や娘の家族帰ってきた時の部屋はあるようだ。

昔の家のように広い和室の続き部屋で、

家で法事や婚礼など由縁の人が集まってすることもない。

古い大きな仏壇も入るところがないので小さいのに替える。

高齢社会がすすみ、定年後も25年は元気で暮らすことを

考えると、住みやすい家に立て替えるのがいい。

でも、我が家にはそんな金は残っていないので

リフォームで水回りや居間を直せたらいいかな。

う




実家から譲り受けた仏壇から父の兄弟姉妹の誕生祝いの記録や

婚礼の祝いの覚書がたくさん出てきた。

出産お祝いは、卵15とか、毛糸とかの品物も書かれていた。

明治生まれの祖父は几帳面だったのか、きちんと書いて残していた。

それを父が仏壇にしまっていたのだろう。大正15年に生まれの伯母の

安産見舞い(誕生祝い)もあった。

祖父は隣町から養子に来ていて、祖母を嫁にもらっているので

ひょっとしたら、祖父というより、その義理の父も代々してきていたのかもしれない。

家としては300年以上続いている家らしいので、代々受け継がれてきているのかもしれない。

市の歴史書に、この家の当主が村方三役か何かで、膳所藩の代官所に

訴えをしていた記録を見たことがある。

実家のある場所は、鎌倉か室町時代あたりは琵琶湖岸だったと思われる。

実家の建っている所より琵琶湖側は緩やかな傾斜になっており、

家自体も湖に向かって少し傾いている。

もっといえば、まだ1キロほど先の浜街道が湖岸だったのだから

この辺りは、新興地であったから地盤もゆるい。

そこに新しい家を建てる。

地盤が緩いので、大掛かりな基礎工事をしないといけないらしい。

兄の息子は地方の大学で研究の道に進んでいるので、

この古い家が残ってしまうと、息子夫婦が困るだろうということも

考えて、元気な今のうちに立て替えるようだ。


最期は皆施設に入り、終の住処は施設かもしれない。

施設に入れなければ、我が家の「ベッドルーム」で福祉の世話になるかもしれない。

「寝心地は最低、居心地は最高 心の中のベッドルーム。」(中島みゆき)



自分は、まだ歩けるうちは、暖かく日当たりの良い部屋で、好きな本を読んだり

パソコンで映画を見たりして、ゆっくりと余生を過ごせるといい。

それには健康な足腰、内臓、そして柔らかい脳とコミュニケーション能力を持ちたいな。



















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