おとうと
山田洋次監督が10年ぶりに撮影した現代劇「おとうと」という映画をを見た。
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朝から皇子山球場で高校野球をみた日、今度は息子さんを家において2人で見に行った。
大人1000円で見られたのは、ラッキーだった。
涙あり笑いありの感動作で、山田監督の映画作品の集大成的な1本になるだろう。
あらすじは…
薬局を経営する未亡人の姉・吟子(吉永小百合)には、役者として大成しないまま大阪でぶらぶら暮らす鉄郎(笑福亭鶴瓶)という弟がいた。
吟子の一人娘・小春(蒼井優)の結婚式当日に、それまで音信不通だった鉄郎が突然姿を現した。
以前、吟子の夫の十三回忌で酔っぱらって大暴れした前科がある鉄郎は、お酒を飲まない約束をするが、その約束をあっさりほごにしたうえ、またしても酔っぱらって大暴れ。
披露宴を台なしにしてしまう。鉄郎は身内から総スカンを食うが、吟子だけは、そんな鉄郎をかばうのだった……。
世の中には、他人に迷惑をかけっ放しの人生を送る人がいる。
そんな弟を見守る姉・吟子は、周りがいくら鉄郎を煙たがろうとも、母のような絶対的な愛情で彼をかばう。借金さえ肩代わりする。
一度は絶縁状を突きつけるけれども、心では鉄郎の身を案じ続けている。
姉にとって弟はまさに、血のつながりのある「厄介(やっかい)」な存在である。
身内であっても心を鬼にして放っておけばいいのに、そうできないから厄介なのである。
それが人と人の間にある情なんだろう。
厄介をかけているほうは、厄介ばかりかけていることは知っている。
自分が姿を現さないほうがこの人たちは喜んでいるに違いないと感じているが、
数少ない人と人のつながりを求めているのである。
弟・鉄郎が姉・吟子に顔をしばかれ、姪の小春にも伯父である鉄郎がつけた「小春という名前は好きじゃなかった」と言われ、暴れまくるシーンの鉄郎は悲しかった。
姉のもとを離れていくこの時の弟の姿は、もうここへは帰らないと決めているように見えた。
人に厄介ばかりかけながらしか生きられない人がいる。
そんな人が自分の帰ってくる場所や居場所がどこにもないと思うようになったら、行き倒れるしかない。
末期ガンに冒され、大阪の病院に担ぎ込まれた弟・鉄郎。
病院にも長くは置いてもらえず、民間のホスピスに引き取られる。
家族を持たず故郷を失った人の最後の行き場所が、民間ホスピス(映画では「みどりのいえ」)で、
そこはどんなところなのかということを、そこで働く人々のセリフで教えてくれる。
そして、現代社会の介護の問題や家族のあり方、終末医療(ターミナル・ケア)の問題などいろいろ考えさせられた。
東京・山谷の「きぼうのいえ」がモデルらしいが、このこの映画で「民間ホスピス」をみて、ブラッド・ピットの「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」と言う映画に出てくる「老人の福祉施設」を思い出した。
家族の絆が薄れつつあるこの時代に、子どもたちに迷惑をかけまいと一人暮らしでがんばっている老人の孤独死や、壊れゆく自分の親を精一杯介護しながら大変な生活を送っている人もいる。
自分はこれからどのようにして、大切な家族を看取り、看取られていくのだろうか。
自分はあと2,30年?後、どんな人生の終末を送るのだろうか、と考えた。
人はひとりでは生きられない。みんな年をとって誰かの「厄介(やっかい)」になって死んでいく。
そして、「堪忍(かんにん)してや」と感謝と謝罪の言葉を残して旅立つのである。
自分の最期を覚悟していた鉄郎が姉・吟子に「お姉ちゃん、おおきに」「かんにんしてや」という、
このシーンがとても印象に残った。
改めて家族のあり方を見つめさせてくれる いい映画だった。