バンクーバーの朝日

2014年 ロードショウのとき 見ようかどうか迷っていたが見なかった。
そして2015年9月のシルバーウィークを前に 1週間レンタルで借りた。
1度見て、思ったほど感動しなかった。
作品のレビューを見ても あまりいい評価ではなかった。
でも、どうして ロードショウで見ようかどうかと 迷ったのは
日系移民の 話だったからだ。
もともとカナダ野球で活躍した日本人を描きたかった映画ではない。
異国での厳しい生活の中で、野球で救われていた人々を
厳しい差別の状況で、我慢して生きてきた人々描きたかったとしたら
いい映画だったと思う。
カナダ移民だけでなく、ペルーやブラジル、朝鮮・中国・台湾やハワイなど
すこしでもマシな生活を求めて 移民(移住)の道を選んだ日本人がいっぱいいた。
芥川賞で話題の又吉直樹の祖父(沖縄出身)もハワイ移民だった。
多くの日本人が移民として外国で暮らしはじめた。
社会的に少数で地位も低い人々の思い。
帰るお金も場所もない民族の一員としての寂しさ。
屈辱的で理不尽な社会でも、我慢してひたすらに生きていた。
そういった人々の姿から 今の日本の人々、世界の人々が考える事は
たくさんあると思う。
この映画の中でも 異国の地に自分たちの町をつくりあげ
みんなで 助け合って生きている姿があったが、
昔の人は、生活が厳しければ厳しいほど みんなで助け合っていた。
そんな話を いま病院にいる父からも聞いた。
うちの実家のとなりの家は「めし屋」と 私の小さいころも近所でそう言っていた。
なぜ、「めし屋」というのか 86才の父に聞いた。
父の小さいころ (昭和初期)、その家は商売をしていたらしく
仕事の手伝いを近所の子どもにやらせて 駄賃代わりに
お茶漬け程度の「めし」を食べさせていたらしい。
農作業にいそがしい親は、にぎりめしを持って田畑に行くから
昼に帰ってこない。みんながいっぱいいっぱいの生活だったころ、
こどもに昼飯を食べさせて、手伝いをさせる商売(取引)が成り立っていたのである。
映画の話に戻ると
戦争がはじまり、カナダでは敵性外国人である日本人の仕事がなくなり
日本に変えることになったチームメイトのセリフ
「ここで外国人として生きるのと、日本で移民の子としてさげすまれるのと、どっちがいいのだろう」
といういうセリフが胸に残った。
同じ民族から受ける差別の生きづらさ。
まじめに慎ましく生きていても ちがう人間として差別を受ける 不合理さ。
現在の日本の社会でも、多くの外国人が暮らしている。
ヘイトスピーチを聞くと、無神経な日本人の島国根性が嫌になる。
外国で外人として必死で生きてきた人々。
本当に大変な人生を必死に生き抜いてきた人々がいた。
そんなことを若い世代に教えてくれただけでも、
この映画は成功だといえるだろう。
移民を積極的に受け入れてきたカナダ。
カナダの野球界で再評価され、殿堂入りした「バンクーバー朝日軍」
そしてカナダのバンクーバーの映画祭で この映画が評価されたのも意味があると思う。